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2015-02-05 16:02    クロエ パディントン
 またマニラ地区のクラーク飛行場作業員として使役に使われた者三百二十名は、武器を所持していないため突撃隊に編入させられ、棒つき円錐弾《えんすいだん》、ふとん爆弾等の俄《にわ》かづくりの爆薬を手に敵戦車の下に飛びこんで玉砕。この地区での生存者は、佐藤益吉水兵長一名だけであった。 あとがき  昭和三十八年秋、友人のロシヤ文学者泉三太郎から戦艦武《む》蔵《さし》の建造日誌を借用した。この日誌は、終戦後米軍が進駐してくる直前、かれらに押収《おうしゆう》されることを恐れて焼却されるはずのものであったが、建艦にたずさわった長崎造船所の或《あ》る技師が、その貴重な資料が永遠に消滅するのを惜しんで秘蔵しておいたものなのである。私が借用したのは、その日誌を写真に複写した三十冊ほどの分厚い大学ノートのようなものであった。  戦争記録にほとんど関心のない私は、そうした戦時の兵器に関する資料を手にしても、殊更《ことさら》創作意欲を刺《し》戟《げき》されることはなかった。それに、日誌をひるがえしてみても、意味もわからぬ専門用語ばかりならんでいて、到底私のような門外漢には理解できるような性質のものではなかった。が、ただ、その紙面から、戦時中のあの異常な程の熱っぽい空気がふき上げているのに強い興味を抱いた。  私は、戦争を解明するのには、戦時中に人間たちが示したエネルギーを大胆に直視することからはじめるべきだという考えを抱いていた。そして、それらのエネルギーが大量の人命と物を浪費したことに、戦争というものの本質があるように思っていた。戦争は、一部のものがたしかに煽動《せんどう》してひき起したものかも知れないが、戦争を根強く持続させたのは、やはり無数の人間たちであったにちがいない。あれほど厖大《ぼうだい》な人命と物を消費した巨大なエネルギーが、終戦後言われているような極く一部のものだけでは到底維持できるものではない。このことを戦時中少年であった私は直接眼《め》にしてきたし、その体験を通して、戦争についての作品を書いてみたいとねがっていた私は、日誌から噴き出る熱っぽい空気にあの奇妙な一時期のまぎれもない姿を見いだしたような気がして、武蔵について少しずつ知識を持ちはじめるようになった。そして、ようやく武蔵こそ、私の考えている戦争そのものの象徴的な存在のようにも思えてきたのだ。  私は、意を決して、本格的に武蔵の資料集めにとりかかった。初めに会った造船技師は、私の造船技術の知識が全くないことを気の毒がって「この分では、十年はかかる覚悟をもって下さい」と言った。しかし私は、覚束《おぼつか》ない足どりで歩みつづけるうちに、造船技術というものもその根底にはきわめて平凡な常識が横たわっていることに気づくようになった。技術書を読んだり技師の方の話をきいたりしている間、私はよく笑った。その高度な技術も、実は小学生でも考えつきそうな平凡な事《こと》柄《がら》から出発していることが可笑《おか》しくてならなかったのだ。  資料集めには、いくつかの障害があった。第一に、厳重な機密保持の下に建造された武蔵であったために、それに直接関係した人々も、あたかも群盲象を撫《な》でるがごとく、自分の触れた極めて限られた部分しか知ってはいない。むしろ、他の部分を知ることを恐れていた傾向が強かったようだ。そのため、それらの部分部分を入念に組合せていかないと、全体がわからぬというパズルを解くような仕組みになっていた。しかも、それらの方々からきいた話はときに不確かなものもあって、組合せてみても、どうしても合わない部分が出てくる。考えてみれば、武蔵の起工は昭和十三年であってすでに三十年という歳月が経過している。記憶が薄らいでいるのは、当然すぎることなのだ。  ある日、当時武蔵の建造に関係した技師の方六名に座談会のような形で話をしてもらった事があったが、五年間も腕に巻きつけていた腕章の色が、六名ともすべて異っていることがあった。そうした記憶ちがいの話は、数かぎりなくあった。  調査を進めるうちに、私には、なにか戦艦武蔵が、戦争を象徴化した一種の生き物のように思えてきた。漸《ようや》く私の内部にも武蔵というものが熟してきて、武蔵を建造した造船所のある長崎へ出向いていった。長崎の町を背景に、武蔵は、私の中で生きた。深夜から夜明けにかけて歩きまわり、造船所の海面をへだてた対岸に坐《すわ》って夜の白々明ける光景を見つめつづけた折、私は、黒々とつらなる造船所の船台上に武蔵の姿を見いだしたように思った。  小さな船で長崎の港口近くにある島の老いた漁師をたずねた。その漁師は、憲兵や警戒隊員の眼をぬすんで夜明け近い頃《ころ》ひそかに雨戸のすき間から、巨大な鉄の建造物が海上を音もなく動いて行くのを目にしていた。日時から推定すると、それは、艤《ぎ》装《そう》も終った武蔵が呉《くれ》へ回航するため長崎港を出港する折のことにちがいなかった。  話し終ってから、ふとその老人は、 「今の話は、だれにも言わないでくれ」  と、顔をこわばらせて言った。  私は、一瞬、その意味が分らなかったが、